発煙点

ホーロー製品をリペアに出したんです。それを機に、油の発煙温度を調べてみました。未精製だと、不純物を含むから焦げやすく、炒めものなどには、不向きなんですね。ただ、その不純物の分だけ、風味が良くなる良さがあります。

油は精製するだけで、発煙点が驚くほど上がるようです。例えば、エクストラバージン・オリーブ・オイルは160℃なのに、オリーブ・オイルだと200℃以上になり、バターは175℃なのに、ギーは230℃なんです。たまにパンケーキを焼く際使っていたココナッツ・オイルも「未精製だと175℃が発煙点だから、煙がでたのか!」と、納得しました。

ついでに、鍋類の扱いについて調べたら、何かコーティングしてある場合はすぐ冷水を入れることは避けた方がいいそうです。コーティング等がはがれやすくなるそうです。あの「ジュッ」っていう音が快感で、やってしまっていました…。

そして、ピーナッツオイルは香りが高いだけだけでなく、発煙点が230℃と高いそうなので、今度見つけたら買ってみようと思います。(ごま油や菜種油も、発煙点が高いです)

新年に入り、どんな新しい出会いがあるか、今年も楽しみです!


みなさんにお歳暮を。

先週末から、お休みに入った方が多いでしょうか? ぜひお正月の準備でバタバタする前に、今年を大切に取り扱う時間をとってみましょう。

以下は、その助けになるかと思って、皆さんに贈るお歳暮のようなものです。

  1. 今年を振り返って、一番印象に残っている匂いはどんな匂いですか?
  2. 今年1番した動作は、どんな動作でしたか?
  3. 今年もう一度握り締めたことは、どんなことでしたか?
  4. それでは今年のスケジュール帳を、パラパラとめくってみましょう。さて、すっかり忘れていて、驚いたことは何ですか?
  5. あの時気づかなかった、喜びや価値があれば、簡単に書き留めてみましょう。
  6. あの時言えなかった自分の頑張りがあるなら、今ここで自分に「よくがんばったね」と言ってあげましょう。
  7. 今年を振り返って、実は一番感謝を手向けるべきは誰でしょうか?
  8. 大切にしたいはずなのに、今年もやり残してしまいそうな事はどんなことでしょうか?
  9. 8の回答に当たることを、今から少しだけ進めるとするなら、何をどんな風にどこまでやりますか?
  10. 今年、印象が変わったことを思い返した時に、それは自分のどんな成長を伝えてくれていると思いますか?

1日1日を大切にいきましょう。なぜなら、あなたが大切なかけがえのない存在だからです。


浮気をゆるせる心の広さ?

単発コーチングのお申込みは、今夜21時までです。さて、パートナーに浮気され「それすら許せることが愛だ」と、自分に強いてませんか?

パートナーに浮気されている状態、つまり三角関係でなんだかんだやり過ごせるのは、実は単にその人が母親(父親)の影響下にとどまっているが故であると表せます。

その人が男性であれば、母親の影響下にとどまっているからこそ、妻や恋人の浮気をなんだかんだオッケーとしてしまえます。その人が女性であるなら、まだ父親の影響下にあるからこそ、夫や恋人の浮気を結局のところオーケーとしてしまえるのです。

口で「好きだから耐えている」「諦めて受け入れている」「別れると約束してくれたから、信じて待つ」のように言っていようと、何を言ったとしても、です。

なんとなく「許せるって素敵」と酔って、自分が酔えるイメージに自分を当てはめていく限り、ありのままを認めることなどできないから、苦しみは続きます。

そんなあなたが自分に問うべきは「なぜ、自分はそこまでの酔いを必要とするのか?」です。相手に潔白を求めるゲームにいそしむより、自分のありのままを見ていなかった事実を受け入れる方へ進みましょう。


愉快なハイキング

乾燥に悩みはじめたクライアントさんへ、こちらを提案しておきました。

さて、以前から、歳末助け合いとも表されますが、今は苦しみが骨身にこたえる時期であるのかもしれません。そういう時に、それでも生きると決めていただきたいのです。

それは、自分の回復や成長に責任を負うということです。二度と思い出したくないような経験、いわば高いストレス体験後に、それを糧にしていくために一番大切な一歩は、自分の回復や成長に責任を負う態度です。

ここが抜けてしまうと「回復や成長を目指したら、大事な人を遠ざけてしまった」という展開になることがあります。「他者に対し自分をどう表現していくか」を、間違えてしまうからです。

希望をもてることは、決して何かを忘れられることではないのです。何かを忘れられることを的にするのではなく、希望を持てることを的にしていくと、回復や成長の道のりが、愉快なハイキングのようになるでしょう。


一緒に悲しんでくれる?

マスクは密着性を上げる方が、感染症防止効果があることは、みなさんもお判りでしょう。① 耳にかけるゴムをひと捻りしてから耳にかける ②その際、ゴムの出ている両脇のひだを折り込む、とマスクが頬にぴたっと密着するようになり、ウィルス等の濾過率が1.5倍以上になるという医学論文が上がっていました。

今お使いのマスクのまま、すぐにできることです。良かったら、一緒にやってみましょう!

さて、被害者と呼べる人がいる状況で、被害者の立場になって一緒に悲しむ姿勢は、一般的にみられる「やさしい人」姿勢でしょう。被害者がその恐怖から抜けられるよう、解決を一緒に探そうとすることは、あるいはその憎しみから自由になれるよう、過去について話すことを促すような態度は、一般的にみられる「いい人」の態度でしょう。

ただし、こういうときに実はその「やさしい人」や「いい人」が、無自覚に心の中で「自分の方が上」と考えていることがあります。こうした優越感は、それを持つ人が「自分は重要だ」という認識から外れたことを、表しています。また「やさしい人」や「いい人」に見えながらも、要求がましさを持っていることがあります。

「いい人」や「やさしい人」としてこれからも人の役に立ちたいなら、要求がましさや優越感が不要になるほどには、人間性を高める必要があります。


対応力

新人さんがバラエティ番組に出ていて、何を振られてもパッと対応していく姿に、その人の強さが見えて気持ちがいいなと思いました。何を振られても対応はしていても、その対応の質が良かったというわけではないんです。でも、そこで何を振られても、その現実と直面していく姿は、その人が信頼を勝ち取っていく姿でもありました。

「できない」とか「むずかしい」というそぶりもなく、本当に振られた内容がわからない(いうならば、ロシア語で話しかけられてきょとんとする感じ)時だけ、きょとんとしていましたが、それは「できない」や「むずかしい」と、全く違っていたんです。

「自分はすぐあきらめてしまうな」と認識できる人は、その対応力の低さは自分が現実に直面しないで生きてきたことと深く関連することに、自分を開いていく必要があるでしょう。そして、すぐ「できない」や「むずかしい」というイメージの世界に逃げずに、対応せざるを得ない現実が目の前に突き付けられたとき、もしかしたらはじめて自分の強さを獲得することになるのかもしれませんね。


状況ではなく結果を見る

イメージを生きて酔っぱらったように浮遊している人は、結果ではなく状況をみています。かつてあった状況を心の中にずっと上映し続けているのです。

例えば、人生も後半になって親を非難したり、あるいは親を庇ったりしている人は、ここに該当します。あるいは「普通に見られたいから」と結婚したがる人も、ここに該当します。「この条件が揃っていれば、居場所が生まれるはず」という上っ面に必死になれているわけですから、酔っぱらったような浮遊者だけが、周りに集まってくるでしょう。過剰適応して自分を壊しそうになったり実際に壊してしまう方も、ここに該当しています。

状況には、往々にして解釈が含まれます。気持ちという客観性を欠いたものも詰め込まれています。そうすると「ますくかいしょく」なんて思いついて、なんと発表できてしまったりするのです、しかもそういう立場にある人がです。一方、結果は事実です。客観的に確認しうるものです。そして、現実はあくまでも事実で構成されています。

これまでの人生で、現実と直面してこなかった人は、現実に根差す強さを持ちません。現実に直面できずに浮遊してきたなら、浮遊するパターンを繰り返すだけですから、より一層の危機を招き入れることになります。それでもまだ「喉元過ぎれば熱さ忘れる」であるなら、危機がつきものの人生になってしまうのは、当然の結果です。


失われた尊厳

ありのままの営みを見ないで、イメージをみていると、みなさんは強さを失っていきます。イメージに留まって、空想する自由を楽しんでいるなら「それが一体、なにを達成してくれるのか」という問いを持ってみましょう。

例えば、空想する自由は、みなさんに尊厳をもたらしたりはしません。一方、ありのままの営みをみる、即ち自分のしたこととそれが運んでくる結末を受け容れられると、それまでは持っていなかった尊厳があなたの中に宿るようになります。

「起きてしまったことを取り消せる」と、どこかうそぶいている内は、あなたから尊厳は失われたままです。特に、中絶や安楽死を含む殺人(当たり前ですが、流産は該当しません)は、取り消すことのできない影響を、既にあなたの人生に与え、またあなたに続く存在に与えています。

それを偽るかのように、名誉を得たり、収入がぐんと上がる頑張りを見せたり、数多くの人から尊敬されているかのようになったとしても、そんな浮遊する人生は、失われた尊厳をあなたに取り戻してはくれません。


魂に響く?

皆さんが自分の問題を語るとき、語られているのは、皆さんの解釈であることが、ほとんどです。それは、実際の解決への道を制限するやり方です。単に既にこうあって欲しいと思う解決を提供する共犯者に、聞き手を仕立て上げる行為です。聞き手が自分の目で見る権利を、奪おうとしているのです。

自分のイメージが崩れたといちいち騒ぐ人たちは、みんなこれをしています。「自分はこんな人じゃなかったはずなのに」「自分の作ってきた家族はこんなではなかったはずなのに」「自分の選んだパートナーはこんな人じゃなかったはずなのに」「自分がこんな目にあったなんて思いたくない」とイメージの世界でとどまることは、個人的な領域に居続けることを意味します。そしてそれこそが、助けが来る道を塞ぎ、すでにある絆をも傷つける行為です。

魂という言葉を使いたがる方に向けて書くなら、これは魂が何かを知る由もない人がすることです。「魂に響く」なんて言葉に酔ってイメージの世界にとどまっている状態にある方は、実際に魂に響いた状態や魂と調和するした経験はありません。


僕たちが若い頃はね…

昨日の続編にあたることを、書いていきます。

企業で働いていると、急に制度改革があって「今年入社した人から待遇が良くなる」といったことがあります。既にそこで働いていた人は、内心むぐぐっとなるわけです。それで新人に「君たちはほんといい時に入ったなぁ~」「君たちはただ入っただけだから、別にあれだけど。やっぱり会社がおかしいんだよな。この制度改革案はずっと前からあって、やっと施行されたんだよ。もっと早く施行されるように、会社をもっと良くしていかないといけないなぁ」なんて、話したりするんです。

これも単純に、新人に対する嫉妬です。口では何を言っていても、「後から来たのに、おいしい思いをしている」が、そこにあるわけです。(兄弟間でもある嫉妬ですね)だから「僕たちが若い頃はね…」と説教めいたことがでてきたりもするわけです。

嫉妬されている新人の方は、なんとなく「この先輩と歩調を合わせておかないと、なんかまずいかも」と、ちょっと悪いことでもした気になったりして、後日「先輩、一緒に会社をよくしていきましょう!」なんて、わざわざ言いにいっちゃったりするわけです。そうして、入りたいプロジェクトに入れるように動くようなことを、せっせとしていくわけです。

こういう先にいた人(先生/先輩/兄や姉/医師)から後に来た人(生徒/後輩や新人/弟や妹/患者)への嫉妬も、非常によくある嫉妬の代表例の一つです。


単発のFAP

単発のFAPをはじめます。ご利用はみなさまの人生において、計3回までとさせていただきます。(単発でない通常のFAPの詳細は、こちらです

○ 16.500円(税込)/1回
○ 1時間/1回
○ 対象: 主に体験を目的としたい方。ご利用は生きている間に3回まで。
○ 事前の合意事項: こちらと同じ
⇒ お申込みは、こちらからのみお受けします。

原則として、インテーク・セッションからスタートし、みなさまの人生に添う形で行うことが、もっともみなさまにとって内的にも外的にも調和をもたらしてくれる方法であることに、変わりはありません。

しかし、一回だけでもというニーズに門戸を開く必要を感じ、このような機会を設けました。

セッション中は、和やかに笑いながら進んでいく感じになります。こちらから、辛い体験や苦しい体験の吐露・痛みの告白を強いることは、一切ありません。最も苦しいことや辛いこと・痛みは、言葉という形を持ちません。

あなたの美しさに光をあて続けながら、人生に何回とない時間を過ごしていただきます。終了後は眠くなりますので、車の運転など手元の狂いが生死につながることは、避けてください。合意事項に嘘偽りなく合意できた上で、セッション後3日ほどよく眠れるようスケジュールを整えてからいらっしゃることが、お申し込みを考えるあなたが果たすべき責任です。


言葉で圧倒しなくていい自由。

ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞したニュースをしってからずっと観たかった映画「スパイの妻」を、観ました。

言葉だけを捉えれば、スパイ/狂う/愛する等の意味は、文脈により変わって見えるでしょうが、動きをみればいつもそれは安定しています。動きをみれば、解釈から解放されるのです。

未熟であるほど、言葉で相手を圧倒しながら、自分も自らが発した言葉に酔います。そして、理から離れるから、願いも叶わなくなります。

日本には、自らのあやまちを振り返る作品が少なかったと思います。その点が本当にドイツとは逆です。その一歩として捉えた上で、いい作品だなと思いました。当時の万能感を、よく思い知ることができます。

言葉で圧倒することもされることもなく、言葉に酔うことも酔わせることもない客観の世界は、自由です。


まもられたい、なら。

わたしたちには、遠ざけたいのに近づいてしまうことがあります。亡くなった人を弔うのは遠ざける動きですが、亡くなった人にすがり近づいては、亡くなった人が平安であれないようにしてしまうケースは、代表例でしょうか?

「絶対にああはなりたくない」も同じで、これは遠ざけたいものの実際には近づく動きのため「あんなになりたくないと望んだ姿になる」ことが起こり得ます。親を嫌うほど親のようになったり、あんなに気をつけていた病気になってしまうのも、よくある例の一つでしょう。

加害者と被害者間も同じです。「絶対に許さない」と思うほど近づいてしまい、いつまでも被害者は尊重を得られなくなりますし、嫌な記憶がリフレインします。

和解してはじめて、自分と相手の間に適切な距離が生まれ、互いを尊重できます。尊重はすべての人に必要なことで、あらゆることを解決する鍵です。それはハートを通じて行われていきます。

ゆるしたり、相手を尊重することで、何よりわたしたち自身がまもられていくのです。「まもられたい」なら、すすんで和解し、相手から尊重を得られるようにするのが、最短ルートです。


朝日を浴びるような感覚

日本国内では、特に女性の自殺者数が上がっていると、報道されています。自殺は、本人の自由意志によるもののように考えられていますが、全く違います。

また、一つの要因でそうなることはまずありません。もっとみなさんの後ろから始まっている動きに、将棋の駒か何かのようにわたしたちは動かされている部分もあります。他人からの作用についても、その人にもやはり動かされている部分があるため、実際には複雑にその人の自由意志以外の力が、働いています。離婚や不倫といったことも、そうした側面を持ちます。

当事者はもちろん、それを聞いた人もなぜだか不快になることは、本人の自由意志によって成されていないことがほとんどなのです。しかし、だからといって、そこに法が働くべきではないというわけでもなく、また当人に責任がないわけでもありません。

ただ、このこと全体を真に理解すると、責任がもつ姿に背中を押され、真に前を向いて生きていけるようになります。それは、朝日を浴びるような爽やかさや輝かしさを伴う感覚なんです。


深い愛

深い愛のある人ほど、ご自身を冷たいとご覧になっているケースを、一定の割合で見かけます。ご自身がご家族など所属するところの通奏低音のようになっている場合、それをはっきりとは認識しないことで、まるでご自身を含む全員をまもっているようなんです。

ここでいう深い愛は「誰も排除しないことを徹底できる」と、言い換えられるかもしれません。さらには「自分だけが潔白だ」と主張したがる未熟さと無縁だとも、言い換えられるかもしれません。

「誰からもその居場所を奪おうとしない」それは一般に愛と呼ばれる何かの一部ではないかと、思います。そして、より大きな何かを知覚している中においては「それは愛じゃない」とも表せる何かなのでしょう。

もしかしたら、それは祈りと呼ぶ方がふさわしいのかもしれません。しかし、祈りが残虐さや冷酷さと同じ場所から生まれたりはせず、どちらかと言うと愛と呼ばれるものと同じ場所から立ち上がることを思うと、愛と呼んでも構わない気がします。


死別と力を取り戻すこと。

一般に、わたしたちは死を恐れます。知ることのできないそれは、勝手にそれらしく語られる妄想ボックスともなって、そうある人を支えてくれている側面もわずかにあったりするのかもしれません。

しかし、もっと理性的になってみると、死はすこし違って見えてくると思います。(ここでは身体で感じる話はごそっと抜いて、書いています)。例えば、両親が亡くなる時「やっと解放される」と思う人もいます。愛する人が亡くなって、逆にその人にすっかり囚われたかのようになる人もいます。あるいは、いのちの死でなくとも、何かの連載が終わったりする際、受け入れられずに「永遠に不滅だ」と、また妄想ボックスを膨らませる人もいます。

死を含むあらゆる別れの本質は、関わったその相手や連載といった何かが、その後も望もうとも望まずとも、わたしたちの一部であり続けること(=その流れから自分を排除しないこと)にYESをいうことでしょう。両親の例はわかりやすくて、あなたが失ったと感じる親は、あなたの中に半分ずつちゃんと存在しています。自分の顔の中にお父さんもお母さんも発見することができます。愛する人との間にきちんとコミュニケーションがあったのなら、あなたは相手に何かを与え、そして相手はあなたに何かを与えています。その与えられたものによって、あなたは生かされています。連載も同じです。あなたを支えたり慰めたりしたその動きは、あなたの中で止まらずに存在するのです。その意味で、関わった物や人は、わたしたちの一部であり続けます。

大切な人を亡くした時こそ、どうぞこのことを思い出し、前段落の一行目を声に出して読んでみて下さい。実際に、あなたが別れる相手にYESを言ってみて下さい。死や別れは、何かを排除したり追い払うことではありません。その証拠に、例えばあなたを小さい頃怖がらせた相手は、亡くなった後もあなたにとって脅威でしょう。そして、あなたが関係した相手やものが、あなたの一部であり続けるということは、あなたがその相手やものと同じになるということでは決してないことに、自分を開きましょう。

放火魔の子は、その出自を知らないまま、やはり放火魔になったという実際の話がありますが、それは「放火することが快楽である」という遺伝子が受け継がれただけの話で、ON/OFFはその人にゆだねられています。その人がそれをOFFにする環境を選んでいけば、それはずっとOFFのままです。そして、その人は放火魔の親から、ただ良いものを受け継ぐのです。それをはねのけずに、受け取っていくとき「まだ何か足りない」という感覚ではなく、そして実際に失う体験が増えるのではなく「いっぱいあるなぁ。ありがたいなぁ」という感覚と共に、満ち足りていく体験をしていきます。それは、あなたの力を捨てなくなったから、そうなるのです。


静けさをおそれ、幸せが遠のく。

転売対策しました。

さてさて、幸せが必ず含むのは、リラックスした状態です。心には、光を感じる感覚(例:明るさ)が、宿るでしょう。

そして、自分の中にノイズが多いと、静けさをおそれます。みなさんは、テレビをつけず、SNSやニュースを一度もチェックせず、音楽をきかずに一日を過ごすことができますか?自分の中にノイズが多いから、あちこち動き回るのです。みなさんは、どこにも出かけず、静かに穏やかに三日間を過ごすことはよくありますか?

「気持ちが上がる」洋服や習慣や本を必要とするのは、それだけ普段「気持ちが落ちている(=落ち込んでいる)」からです。それだけ、自分の中にノイズが多いのです。静かであれば、気持ちは上がりも下がりもしません。気持ちを押し込めたり隠したり、落ち着こうとする必要がそもそもありません。

心にノイズが多いままで、リラックスできるでしょうか?ノイズが多いままで、ハートに光を感じる感覚はやってくるでしょうか?ノイズが多いままで、幸せにたどり着けるでしょうか?


自然への畏敬の念

かつて、人は多くの土地で、自然への畏怖の念を持っていました。自然がわたしたちに食べ物をくれることを「当然」と思わず、頭が下がる感覚が自然だったのです。(ここでは、あえて神様に触れないことにしています)

だけど、どの国でも人は自然と調和する生活から、離れていきました。そうすると、もともとあった天災による飢饉から来る「食べられなくなる」という恐怖は、実は増していきました。お金の優先順位がみんなの中であがるほど、畏怖していた自然の位置を、お金が奪い取っていったのです。

でも、本能的にどこかで「そうはいってもお金は食べられない」ことを知っています。お金という人が生み出したシステムは、どんなに地球工学や遺伝子工学といった○○工学を使っても、生態系というシステムと、並列には置けないのです。そもそも自然があったのが先で、お金が生まれたのはだいぶ後です。今では多くの人が、自然ではなくお金に畏怖の念を持っていますが、それはその人の意識の話で、理から逸れた自分を止めるためのブレーキとして、そういう人は段々と言い知れぬ恐怖を感じるようになっていきます。

「生きていて何だかこわい」という方は、こうした理から逸れたことをしているから、そういうブレーキが働いている視点に一度立ってみて下さい。特に投資などマネーゲームをする方は、こうした恐怖を強く持つようになります。すべては、あなたを助けるためにやってくるのです。


薄くて小さな枕×たくさん

今までの人生で、様々なところに旅したり、友人の家に泊めてもらったりしましたが、一例を除き、とにかくすべてにおいて、枕が合わなかったのです。いいとされているお高い枕もいくつか試した後、ある時点から、よく推奨されているバスタオルなどを使う方法も試してきました。しかし、その一例にかなうものはありませんでした。

それは、かつてリーダーシッププログラムに参加するため、スペインに通っていた時、定宿にしていたホテルの枕で、とにかく薄くて小さい枕がたっくさん置いてあったのです。それによって、絶妙に寝心地の良い状態を毎回つくることができました。おそらく中身はポリエステルだったと思うし、一つ一つの価格は安かったろうと思います。こじんまりとしていたけれど、内装も木でスペインだけど南仏を思わせるデザインで室内が整えられており、ベランダからは海が見えて、本当に悪くないホテルでした。

それを思い出すにつけ、薄くて小さな枕をたくさんプランで行こうと、色々探すのですが、ベッドで使うのと布団で使うのとでは、使いやすさの条件が少し異なることなどもあって、なかなかいい物に出会えなかったのです。しかし、この春、ぴたっとくる小さい枕を見つけてしまったのです。7cmという高さがわたしには絶妙で、また中でちゃんとそば殻とラベンダーが移動してくれるから、少し高くしたり少し低くしたりできる感じも、わたしには絶妙でした。

ただ、その後「じゃあこれをあと何個か買えば、絶妙に眠りやすい!」と思ってお店をのぞいたら売り切れで、その後半年間入荷がなかったのです。しかし、先日見てみたら、入荷していて、即決で買いました。これでますます、睡眠時間が気持ちのいいものになりそうです。

生活からどんどん不快を減らして、快適度を増していくことは、安心や安定に直につながっていくことです。


清い存在と聖者

清さを感じ、幸せだなと思うのが、まっとうな心と身体の持ち主です。そして、熱いものを触って「あちっ」と手を引っ込めたり、窓を開けて蒸し暑くて「うっ」となるように、清さを感じれば感謝が湧いてくるのです。そこに、高揚感や陶酔感はありません。

清さは聖なる何かとは、違います。聖なるという言葉は、キリスト教をはじめとする宗教という信念体系に属します。キリスト教の場合なら、聖なる者と呼ばれるのは「あなたの代わりに死ぬ」という代理をする人です。戦前の日本にも通じますね。

代理をする聖なる世界と、狂いのない心身で感じる物質としての清さは、似ても似つかないものです。聖者は、決して清い存在などではありません。それがどこかでわかっているから、75年前に母親をはじめとする人達は、それを喜べなかっだと表せます。

聖者を要する世界は、決して平和ではなく、美を重ねようとその本質を変えることなどできません。


丸め込むと、○○から遠のく

あら、こちらも配信スタートしていたんですね!

さて、「多分こうじゃないかな」「お皿1枚洗ったって減らないから、明日まとめてやればいい」、そんな風に考えるとき、あなたはあなた自身を丸め込んでしまっています。

「多分こうじゃないかな」「お皿1枚洗ったって減らないから、明日まとめてやればいい」、はどちらも細かな違いがわかっていないし、また未来を決めつけてしまっています。真っ白なはずの未来を汚してしまっているのです。

そうやって丸め込んでいると、感謝するあの気持ちよさからは、遠のいてしまいます。感謝することでわたしたちは、色々な体験をできます。もうすぐオンラインWS「感謝」を、リリースできます。ちなみに、オンライン・ミニ・リトリートはうちの味噌が出来上がったら、みなさんにお知らせします。(味噌使うんです♪)


本当に今のあなたで十分。

今のあなたに足りない新しい何かがあるのではなくて、今のあなたが既に持っている小さな芽を、大事に育てていきましょう。

自分が向かうべき方向には、どこか心身がウキウキするでしょう。そして、ちょっとやってみたら「あれ?できちゃった!」と背中を押してくれる温かな手を感じられるでしょう。なぜ軽やかにできてしまうかというと、それが向かうべき方向だったからです。

その方向に向かって、小さな芽を誠実に育てていけば、その姿に人はあなたの魅力を見ていきます。誠実に歩み続ける態度から、あなたらしさが表現されて、周りはあなたをもっと好きになります。

自分を表現していく、というのはそういうことです。あなたが、本当に今の自分で十分だとサレンダーして、その先に誠実さが続くとき、みんなあなたを好きにならずにはいられないのです。


力になれない辛さから、ちゃらんぽらんに生きる。

カンヌのパルムドール他、絶賛を浴びている『パラサイト 半地下の家族』を待っていましたが、まだ映画館で上映中なんですね。なぜか、みんなが新コロの第二波をなくそうとするのではなく、絶対に来るという妙な「信仰」のもと(つまり、虫の知らせや科学的な予測ではない)動いている中、わざわざクーラーもきき過ぎているだろう映画館まで出向く気には、なれませんでした。

ただ、お隣韓国のことをあまりにもしらない自分のことを、不自然に感じてきたことは、大事にしたいと思ったんです。20代など、コスメや「おしゃれ」の基準など、韓国が身近な暮らしをしている人も多いでしょう。

そこで、韓国国内で評価が高かったらしい、実話を基にした『タクシー運転手-~約束は海を越えて~』(2018)を、見てみました。どの国で起きる事件と同様、この映画で扱う光州事件(1980年)も、未だに多くの方の現在に息づくことのようです。日本での1980年は、「ぶりっ子」の言葉が生まれた年だそうです。

完全に統制され情報が漏れない中で未来を見失わずに闘い続ける人たちと、だからこそ、それを一切知らされていない近場との間にある異常なギャップは、この映画を観ているだけで、十分すぎるくらい経験できます。そして、いのちを賭けて、その情報が表に出るように、つないでいく人たちの姿は、わたしたちが普段こんな姿勢で、誰かの一言を聞いたり、自分で話したりしているかという問いも、与えてくれるでしょう。

映画ならではのひと匙かもしれませんが、劇中のタクシー運転手は、大切な家族の力になれなかった辛さから、視野を狭くして、ある意味ちゃらんぽらんにも見えるように生きています。しかし、お金につられ他人のお客さんをかっさらう形で、ジャーナリストをタクシーに乗せたがために、情報統制のせいで届かなかった現実を目の当たりにすることとなり、それにより、自分の人生から逃げることを止めます。つまり、自分の力を取り戻すのです。だから、ラストでジャーナリストに「こちらこそ感謝だ」という行がでてくるのです。

内省ができる応用力のある方なら、今この映画を観ることで、今どの国の住人だったとしても、自分の未来をまもっていける選択をするための材料を手に入れられるでしょう。その点から、この映画はオススメできます。昨今は、子供の面倒をみているつもりで、単に子供を盾にして逃げ込んでるだけという「自分の人生から逃げる」人や、自分のパートナーの問題を直視できずに関係を続けるという「自分の人生から逃げる」人も増えました。そんな方にとっては、内側の力を呼び起こしてもらえる着火剤になるかもしれません。

劇中、登場した国名が、韓国・日本・ドイツ・アメリカであったことも、非常に興味深かったです。


思考の狂い

緑が濃くなるスピードに、日々感嘆しています。

さて、思考の狂いが大きくなってくると(ほとんどの方が”イマココ”)、こんなことが起きます。

例えば、食事をしているとします。本当に上質な食事をいただいていると、呼吸が深くなったり、表情が柔和かつ優しくなったり、おしゃべりをしようとは思わないのです。たとえていうなら、森林浴をしていて鳥の声に気持ちよくなっている時のような、身体の反応や表情の変化を見せます。

その時、周りの人には「この人はこの食事がおいしいんだな」と見えています。でも、ご本人はこの食事を美味しかったとは記憶しないのです。その食事に、おいしかったというタグ付けをできないのです。タグ付けがとことん間違っているのですが、自覚する術がない状態です。

これが、次に何か来たら、心がポキッといきそうなくらい、ストレス耐性が相当低い状態です。未来の安心を担保するという視点から見ると、レッドカードなのです。


怒らないから生まれる損失

命を長らえたい方は、こちらご覧ください。

さて、多くの方が誤解しているのですが、怒りは相手を傷つけません。むしろ、怒りを抑圧して生じる恨みこそ、相手を破壊します。「怒り→手を挙げた→ケガさせた」のように見て「はじめの怒りを抑圧しよう」という発想は「怒れば必ず手をあげるし、それも怪我をさせてしまうほどだ」と、一緒くたにしています。

怒りほど、あなたを守ってくれる感情はありません。怒りは、相手との関係を続けようとするから生じるポジティブなものです。

例えば「今こんなことをされて嫌だった、怒っている」と紙に書くことだって、怒りの表現です。決して、怒り=暴力のようにはなりません。

心に傷があると、怒りという自分をまもる力についても誤解し、むしろ本当に人を傷つけてしまいます。さらに、恨みをもっていれば、人と親密な関係を築けなくなり、「がんばらないと!」という意識的な状態にばかりはいって、無意識がその力を失い始めます。恨みがあなたにもたらす損失、つまり怒らないことで生まれた損失は、非常に大きいのです。「がんばらないと!」という意識的な状態が、無理しちゃうfakeを生んでいきます。

隠ぺいのミルフィーユ大国では、恨みも降り積もって、その厚さはかなりのものです。その破壊力を、非常に危惧しています。


未来にいてほしい事業者をまもる

スペインにいらっしゃるサッカーの柴崎岳選手からのメッセージ、ぜひ読んでいただきたいです。

さて、お気に入りのお店が急に閉店になったり、ずっと続けてくれていると思っていた治療者が、その人自身病気に罹られてビジネスをクローズするようなことは、ウィルス感染がなくとも、あることです。

そんな時に「えー困る!」「残念~」で終わらせていませんか?みなさんが、未来にいてほしいと願う、つまり現在なんらかの恩恵を受けている事業主(お店や会社含む)に、こんなcatastropheの時こそ(三月中旬のフランスのTVでは、10分間にこんなに何度もいう?っていう程、このワードが繰り返されていました)、お金が巡るように、消費していきませんか?

笑顔がすてきな販売員さんに励まされたり、「これ取っておいたよ」と伝えてくれる八百屋さんの優しさにじんわりしたり、「それだけ悪いこと続きなら、来年は絶対いい年になりますよ!」と歯科衛生士さんに親身になって話をきいて頂いたり(これ私です(笑))、そういう心の交流があったり、質の高いものを提供してくれることでこちらの気持ちがしゃんとしたり安心できるような、そんなお店・オンラインサービス・職人さんなどを、何人か思い浮かべてみて下さい。

そして、今ちょうど買いたかったものがあるなら、そうした場所で買えば、あなたはあなたの未来にいてほしい事業者を、少しだけですがまもることができます。「ま、いっか」と見放す道もありますが、この態度は自分にいつか返ってきます。

ちなみに、わたしはこの夏行くはずだった富良野で、ラベンダーのアイピローを買いました。わたしは、ちょうど夏時間・冬時間の切替えと重なったこともあって、海外で毎日だされる決断の嵐でクライアントさんのご都合がどんどん変わり、事実上鎖国状態に入った国の方もいて、一緒になってその荒波を潜り抜けた疲れを癒しています。

望む未来は、こうして創り出していくことができるのです。


靴のかかとに黄色のステッカー

結婚式は5人以内で/お葬式は10人以内でと、細かく制限のかかったオーストラリアでも、かなり面白いことになっています。

さて、わたしはまだ見かけたことがありませんが、靴のかかとに反射剤でできた、黄色のステッカーがあったら「認知症です。声をかけて」という発信だそうです。ちなみに、赤色のステッカーもあり「認知症です。すぐに守ってあげて」というSOSだそうです。

ステッカー自体は、兵庫のNPO「日本ハートフルサポート」が2011年に作り、2020年2月現在で、約200もの自治体で採用しているそうです。

歩いているとき、なかなか靴のかかとは見ないかと思うので、バスに乗っていたり車を運転中の方が目線が低くなりやすく、また夜間の方が意外に気づきやすいのかもしれません。新型コロナウィルスで、物理的には人と近づきづらいかもしれませんが、心理的に人と近づくことは可能です。警察に一報してあげるなど、できる範囲で、心の距離は近づけていきませんか?

トイレットペーパー騒動は、いかに信頼のない社会かをあぶりだしました。それでも、こうして私たちが生きているのは、あなたの知らない誰かがあなたを気にかけてくれた瞬間があるからです。今、その恩返しをしませんか?尊厳をまもりあえる心に傷をつくらなくていい社会を、あなたからつくり始めませんか?


あれ?おやっ…

社会経済システムが、地震に手もあったかのようにぐらぐら動いていると、今まで信じて疑わなかった思い込みや決めつけに、気づかせてもらいやすくなります。

普段から「あれ?おやっ…」と疑問や違和感が浮かび上がる瞬間には、全く同じことが起きているのですが、社会経済システムが大きく動くとき、それが今まで以上に大きく起こってきます。

本来こうした「あれ?おやっ…」は、思い込みや決めつけから脱皮し、新しい考えに導いてもらえる貴重な機会です。この機会に、めちゃくちゃ恵まれている今です。

それなのに「これからどうなるんだろう?」と、今を生き切らない選択をしていませんか?心に傷があると、すぐに未来や過去が気になってしまい、今を十分に生きられないのです。何が起こるかわからないのは、いつも同じではありませんか?


無理してる!の質

「あの人無理しちゃって〜」は、英語でなんて表すと思いますか?考えた方が面白いので、面白いのが好きな人は、考えてから先を読んでくださいね。

「あの人fakeだ」と表すんです。ほら、頭の中が引っ越し直前の部屋みたいに、すっきりしました?

みんな無理して何してるかというと、ストレスためて地球よごして自分もけがして、不幸に苦しんでいます。それがfakeの終着駅です。

「無理してない感じが気持ちいいね〜」の人、つまりauthenticな人はストレスは減らせて、地球への負荷を最小にするのがレジャーで、自分はいつも澄んでいて、幸せがスパークリングしているわけです。

「無理してるのは、がんばってるからだ!」のみなさん、頭からもう一度読んでみてください。


一緒にいたいのは?

問題解決力がないと、仲間を作り一緒にいたがります。何となくの雑談で、問題だと認識していないことが、解決される可能性が高まると勘づいているからです。

例えば、わたしは先日「服にしわを作りたくないなら、その服のしわができそうなところにジーンズなどしわになってもOKなものを挟めばいい」と聞いて、今まで自分がそれに気づかなかったことにびっくり仰天しちゃったのですが、そんな感じです。

しかしそこで「だから仲間が必要」と発想するのは、心に傷があると認めたくない人の発想です。そこで必要なのは、より踏みとどまり深く思考できる力の方だからです。わたしの例なら「しわにしないために!」と粘り強く考えたことがなかった態度を生んでいた思考などの癖を改善するのが、王道です。

「だから仲間が必要」と発想する人はそこに何となくの不安を持ち込むため、互いに離れられなくなります。互いを阻み損いもたれあう依存関係にもなるのです。心の傷同士で癒着するから、やっかいです。

そんなふうに、自分には心の傷があり回復できると認められないと、傷を維持したりさらに深める方へ進んでしまいます。

例えば、多読を好む人は、自分事として考えられないからこそ、一冊や一文から得るものが僅かとなり、多読が可能になっていたりします。本来なら本一冊を理解することは、人生を変える力を持ちます。しかし、プライドが高く人に聞けないと、知識の吸収に余念がなくなります。理解はなされないから、思考や自覚は深まりません。そうして、傷は維持されたり、無自覚に深まっていきます。

継続は美徳として捉えられがちですが、実際は問題解決力がないから動けず、同じ職場や同じ土地にいることがほとんどです。心の傷はこんな風に、人生に不自由さを浸透させてしまうのです。